今年度の活動

今昔風流かぶき草紙

今年度の「古典の日」も無事に開催出来ました。お力添えいただきました多くの方に篤く御礼申します。「古典の日推進委員会」ゼネラルプロデューサーの山本壯太氏に、古典の日についてのお話しをお聞かせいただきました。子供たちの踊り、むすめかぶき市川阿朱花、柴川菜月による『哥宗論』、市川櫻香の『七福神』。最後には、名古屋東照宮児玉宮司にお払いいただきました。

来年1月30日は『今昔風流かぶき草紙』を名古屋能楽堂で開催致します。桃山文化の傑作、国宝「花下遊楽図」に描かれた踊る人たちを、子供たちと舞踊劇にし、温かく優しく伸びやかなカラダのキモチを表現した舞台を創っています。
能楽堂壁面に、今から440年前花開いた桃山当時の国宝絵図を投影、新しい息吹きは年月を経ても私たちに活力の美しさを教えてくれることでしょう。ご鑑賞頂く皆様と、そして未来を創る子供たちと共につないでいきます。大きく映し出された映像は440年前の踊る貴人たち。舞台で踊る子供たちも、貴人たちと同様、手に扇や、羯鼓を持ち、素直に伸びやかに踊り歌います。桃山文化の根元にある自由闊達な精神。温もりのある藝能文化が伝え続けています。
来たる年を思い、優しく温かく誰もが幸福でありますよう皆、願いながらお稽古と準備に励んでいます。
思えば、先人、師、先生、誰もがおっしゃられておられました。「藝術は、幸せを願う気持ちが自然に溢れてゆくものでなければならない」この事をひしひしと感じ、それだけではなく続け伝え続けてゆきたいものです。(櫻)

令和4年2月4日(金)~6日(日)

能楽堂で展覧会『桃山の美とこころ』ー映像とともに展覧会ー

会場/名古屋能楽堂

2月7日(月)
特別能楽鑑賞/桃山の美金剛流ご宗家による国宝「雪の小面」能『雪』会場/名古屋能楽堂


『桃山の美とこころ』より抜粋
天下人たる秀吉の愛好した藝能である能と、民衆の藝能である風流踊とを取上げよう。「たびたびお手紙いただいていますが、このところ能で暇がなく、お返事もさしあげられないでいます。・・・能の腕前も一段と上って、仕舞をいろいろして人に見せると、皆がほめてくれます。能会も、もう二日目まですみました。・・・・あなたのところでもまた能をしてお見せしますので待っていて下さい。なるべく早くまいります。」これは豊臣秀吉が、「おね」すなわち北政所にあてた消息である。歴代の為政者の中で、秀吉ほど能を愛好した者は、空前にして絶後であった。それは殆ど「能狂」と言ってもいいほどの耽溺ぶりであった。もっとも、秀吉は普請も好きで、「普請狂い」と評されることがあったほどであったし、茶湯への執心もなかなかのものであった。秀吉という人は、何事にでも熱中する性癖の人であったらしい。
秀吉が殊に愛用したと伝える「雪の小面」を着けて名古屋能楽堂での能は来年、豊臣秀吉政権から440年となり、この頃を桃山時代また、その時代に多彩な文化の花が開きました、それを桃山文化と呼ぶようになりました。
「桃山時代」の称は、伏見城の雅称「桃山城」に由来する。江戸時代、伏見城趾に多数の桃が植えられ、春の開花時には、洛中洛外から貴賤群衆して桃見を楽しんだ。いつか人々は、伏見山を「桃山」と呼ぶようになり、ひいては伏見城を築いた豊臣氏の政権時代とその前後の若干の時代(その範囲については諸説あり)を桃山時代と呼ぶようになった。この時代に絢爛と咲き匂った文化の花が、桃のイメージとよくマッチしたこともあって、この呼び名は、今では、すっかり定着したものとなった。
この時代、あたかも全残満開の桃山の春を思わせる華麗・豪奢な趣がいっぱいにあった。だが反対の趣もあった。花爛漫の春に対して言えば「雪間の草の春」のごとき趣である。例えば、山里とか学問所とか、そういう趣が豊かにあった。つまり、華麗・豪奢に対する素朴・簡素・花爛漫の春に対する「雪間の草の春」のような相反する極の趣きが共存していたのである。(『桃山の美とこころ』著者倉澤行洋より)

当代金剛流ご宗家ご理解いただき実施できますことを心から感謝申し上げます。
秀吉愛用の「雪の小面」を通し、秀吉の愛した藝能と文化に「故郷」という秀吉の原初、人のこころの求めるものを見いだしてゆくことを想像しながら、来るその時を静かに待つ思いです。(櫻)