今年度の活動

桃山の美とこころー特別展覧会

花冷えの季節
冷えという言葉を追いかけるにはこの時期こそふさわしい。
雪解けのあとには爛漫咲き誇る花の季節が待っています。 


『桃山の美とこころー特別展覧会』は延期中止を繰り返しやっと開催となりました。

御来場の皆様、ご協力頂きました皆様誠に有り難うございました。厚く御礼申し上げます。 

遠方から国際伝統藝術研究会の方々芸術学の研究をされておられる方々美術館、図書館の皆様、多くのご参集いただきました方々。皆様が『対極桃山の美』ご著者倉澤先生にお会いできることを楽しみにされておられましたが、先生の予期せぬ体調不良で皆様とお会いできず倉澤先生も目眩いさえなければ、、と会期中、京都から名古屋へ向かうその判断に悩まれておられました。 
誠に申し訳なくお詫び申し上げます。 

展覧会は〈本を読む・鑑賞する〉ことを身体全体でいかに楽しむか。能楽堂の、正面、中正面、脇正面のさまざまな角度に見方を発見いただき、又座席に腰を下ろし目線を変えて普段とは異なる鑑賞方法となりました。 空間すべてをひとつの動く桃山の立体として鑑賞そればかりではなく拡大される映像に目を凝らし研究心を満たすことも。

 さて、この空間はお能の物語の目覚めを待つ場でもあります。こころが、時も場も超えて自由になれる。または、なりやすい空間なのです。

客席におかれた、太鼓張りの雪見障子を象った造形物が、皆様のこころを自由に遊ばせる装置となりそこに桃山の数々の絵や書、器をデジタルマッピングの技法で写される。何が美しいことへ向かう仕掛けかといえば、映像の中の、絵、書、器や竹花入れがこの変形の造形物の緩い曲線の縁に沿って、寸分外れず写し出されたことがまずひとつです。それによりこれらの桃山の絵、書、器、竹花入れが空間に滲み出していくと感じてもらうこと。そして、背景のお能舞台や破風の屋根がそれらと距離も、角度も、調和も塩梅もとれていたこと。その台前の設えが、松の枯木、松葉、石、灌木、古木の桜の苔山、赤い実の山、その配置と取り合わせが、写し出された映像をより現実的に想像する妙法であったこと。そのどれもが熟達を得た、身体を伴う技術者の仕事でした。「我慢と遊び」を「往還」する人たちのこころが思いのままに匂いたっていました。 

これら設えのなかに、30分のループに流れた日本を代表する桃山の美そこには自由闊達な桃山の表現者たちとこの設えを用意した大工表具師映像技術者デザイン照明関わって頂いたすべての人が、共に800年をつないで遊んでいた。

舞台には、仁和寺から運ばれた信長公、秀吉公の書状が鎮座され、それも共にひとつと感じられたことを考えると、奉納に始まり、次に研究者先生方々の学術は即ち祝詞であり、なおらいが演劇上演という、この変節した中でも形通りの方法を踏んでいたその安心が流れの空気を作ったのかもしれません。そのなおらいともいえる最後の日の上演はベテランの現代劇俳優と第一線で活躍する能役者による「朗読と独吟」でした。本は、倉澤先生の訂正のしようのない藝術書であり、それを老齢の熟練俳優が演じ語った。そこを熟練の能楽師が独吟を歌った。卒塔婆、湯谷、実盛、高砂が歌われ、老境の名人が遊んだ。これが藝道者であると言わんばかりでした。

 特別な頂き物が天から降りたように酔いを感じました。。 

桃山文化が百花繚乱であるようにこの特別展覧会も満開に終えました。皆様とこの場所の厳しさと美しさをあらためて知ることができました。

 近日、この特別展覧会の映像公開をアップいたします。


公開内容
名古屋能楽堂と名著『桃山の美とこころ』の
プロジェクションマッピングと能楽作り物『蝉丸』及びアートプロジェクト 

奉納
むすめかぶき哥宗論、能楽素囃子仁和寺伝導師遍照院大原住職奉納演奏、

講演
古典の日推進委員会山本壮太氏の伊勢物語大人の勉強会進士五十八氏、

研究
能楽一管一噌幸弘朗読と独吟
天野鎮雄と能久田勘鷗

楽屋対談
窯元寺田鉄平氏と能楽師伊藤裕貴氏