この展覧会は映像により大きく映しだされた、桃山時代人が好んだ絵や書をご鑑賞いただくと同時に身近にしていただきたい。という思いをカタチにした展覧会です。
会場は、大名の愛した「お能」の空間で。
「お能は得も言われぬものを感じる場でございます。多くは、この世の人でない人が思いを伝えに橋掛かりからあらわれるのです」
この展覧会、桃山時代人の好んだ絵や書がスクリーンの中で息を吹き、私たちは、桃山時代人に思いを馳せます。
お能の空間は、人のココロと修練でできた空間です。その空間に置かれたスクリーンは、映像が空間にはみ出し染み出て、場と時が絵とないまぜに混じりあうのではないかと想像しました。映像のひと、照明の人、大工さん表具屋さん、沢山の人でこの想像に向かい、今日を向かえました。
芸術学、茶人、哲学者の倉澤先生は、「およそ文化は、反対の極の種類が多ければ多いほど、彩り豊かな活気に富んだものとなる。それ故、反対の極の種類が、他のどの時代よりも多い桃山時代は、またどの時代にも増して、彩り豊かで活気満ちた時代であった。」
多様性を求める今、私たちは多くの種類の文化の花を咲かせることにより、多くのものを得ることを知ることができます。倉澤先生の年代は、日本は戦争をしていました。戦争は悲しみがチリのようにつもりそこにココロがとどまります。戦国の世も同様でしょう。遺された絵から、このチリを想像することもできます。
今、時世にあり、芸術を止めない、アートを止めない。このことを強く思い願います。
長引く沈静の時代、野獣がうごめく大地がとどろく、人はどうすればよいか。芸術に私たちは、救いだされるのではないでしょうか。
倉澤先生は「私たちが芸術を友とするのではない。芸術が私たちを友としてくれるかどうかなのです」と静かに仰いました。